色彩治療・松久治療院

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色彩治療・松久治療院
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  • 大阪府 大阪市中央区 本町4-4-27 細井ビル5F MAP
  • 地下鉄御堂筋線・四ツ橋線・中央線 本町駅徒歩3分
  • 一般治療
  • レディース鍼灸
  • 小児鍼
  • 駅近
  • バリアフリー
  • 使い捨て鍼使用

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  • 内観
  • その他
  • 施術室です。加湿機能付きプラズマクラスターを使用しています。

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スタッフ

  • 松久 隆司

    松久 隆司
    「心と技の恩師」に出会ったことが、施術家として生きる人生を決めた
     
    「思春期の頃は、医療関係に進みたくないと思っていたんですよ」と言う松久先生。
    「内科医の父への反発心もあったんやろうね。それが、友人の薦めで会った京都の倉田知久先生の施術を見て、“鍼で難病が治るなんて、これはすごい!”と。そのとき、この仕事をやろうと決めたんです」
     そこからは本気を出して、専門学校で学びながら倉田先生に弟子入りし、患者さんと触れあいながら臨床現場で経験を積んでいった。倉田先生からは漢方や言霊学も学んだという。
    「技術はもちろん、施術家としての心構え、それ以前の“人間としてのあり方”を教わった気がします。たとえば、“頭を上げるな”これは、“偉そうにしててもうまくいかないよ”という教えですね。それ以外にも、“否定から入らずに、まず肯定しなさい”、“ものを一方から見るな、立体に見るように”とか。そういった教えが、いまの自分のベースになっているし、施術家として生きていける要素なんじゃないかな」
     最近は、技術はあっても関係がうまく作れないという若い世代の話をしばしば耳にする。この時代、施術家としてだけでなく、診療所の経営もしなければいけない。そういった若い施術家たちに、松久先生は恩師から教わった“人間としてのあり方”を伝えていきたいと考えている。
     
     
    人のつながりが出来てはじめて、生かされる、と語る松久先生
     
     開業するきっかけは、実姉の仲人がくれた。腰痛治療の担当をきっかけに、松久先生の人間性に惚れ込み、「応援してあげよう」と段取りやサポートをしてくれたのだ。ただし、恩師からの厳しい助言で、父からの援助は一切なく、銀行からすべての資本金を借りてのスタートだった。
     25歳の時、患者さんの誘いで、エアロビクスの全国大会大阪予選に出場。のちに「エアロビクス世界チャンピオン」となる野村健一郎氏の体のケアを担当していたことが縁で、エアロビクスの世界では、『本町の診療所』として名がしれることになる。またこのとき、最愛の妻とも出会った。
     プライベートでは、22歳の時に、お正月の3日間をかけて原チャリで雪の降る紀伊半島を一周した。そこでは、バイク乗りの会社員と出会い、初対面のその相手の家に、お正月にもかかわらず泊めてもらった。そのときご馳走になり、生まれて初めて食べた“鹿サシ”は、今でも忘れられない思い出だ。翌日の夜は、駅の待合室で震えていたところにヤンキー少年たちが現われた。話をするうちに仲良くなり、少年の家の離れを借りることが出来て凍えずにすんだ。
     それまで、「人との関わりが苦痛」だと思ったこともあったという。だが、見ず知らずの人たちの温かさに出会い、「人って優しいな・・・」と、心の触れあいをしみじみ感じたと話す。
     子供時代は、化学者になって発明することを夢見るやんちゃ坊主だったが、リウマチ熱で2ヶ月寝たきりとなり、学校に行けない日々を過ごしたことも。中学高校時代は、軟式テニス部でキャプテンを務め、モテモテ。【いつでも喋りやすく、話が分かる、企画好きなアイデアマン】それが、後輩や周りの友人が松久先生に抱いていた印象だ。3人の子供たちからも「朝からテンションが高い」と言われている元気者でもある。
    本来人見知りするのだが、持ち前の社交性で勇気を出して交流しにいく。それは、今までの人生で、「人との出会いの大切さ、心の触れあいの温かさ」を教えてくれた人たちがいたからだ。「人のつながり」が出来てはじめて、仕事も人生も前に進んでいくことを実感してきたという。
     もちろん、人生は明るいことばかりではない。いつも大きな存在として見守ってきてくれた父親の死。その死の傷みも癒えない2ヶ月後に、開業時の支援者も相次いでなくなった。そして、尊敬する倉田先生もこの世を去った。つぎつぎと襲う大切な存在の喪失に、心の支えを失った気持ちだった。
     だが、それと同時に、「人は死ぬ」ということに、本当の意味で向き合った。
    「人はいつ死ぬか、わからへんからね。だったら、いつも明るい気持ちでいようってなった。やりたいことがあるなら、やらないよりやろう、やって失敗してもええわってね。人生は一回きりやから、今のままが面白くないなら、変化を続けるようにすればいい」 
     そうしていつのまにか、『いつもにこにこ明るい笑顔』が、松久先生のトレードマークになっていった。
     
     
     来る人も拒む、去る者も追う関わり方とは?
     
     松久医院では、患者さんの90%が口コミでやってくる。精神的ケアの視点から、松久先生は、患者さんとよく話をする。患者さんと仲良くなったことで、何回か結婚式にも出席したほどだ。つながりから多業種と新しい仕事をともにすることもあれば、患者さんに専門家を紹介することもある。なにかを始めようとしている誰かがいれば、手を貸すことをいとわない。仕事では、『有言実行』をモットーとし、一緒に仕事をしたい相手とは、どん欲に関わるのが信条だ。
     すべての患者を助けたい想いはあっても、全員を看れないのが現実。松久先生は、気持ちが折れそうなときほど、あきらめたくないと言う。
    「わたしがあきらめてしまうと、そこで道が絶たれてしまう」。患者さんがどんどん元気になっていく姿が、先生の喜びだからだ。
    「そういう意味ではね、来る人も拒む、去るものも追う、ですよ」と松久先生は笑った。時間も体力も無限ではない。波長が合う相手、もっとも自分が役に立つ、エネルギーを最大に発揮できる状態で仕事をしたいと考えている。
     
     
     技術以外でも頼れる存在でありたい。人材育成も目標の一つ
     
    「いま、医学は西洋、東洋と分かれてるでしょ。鍼灸やあん摩の東洋医学は統合診療と言われているけど、そこに奢らずに西洋医学も取り入れなければならないと思っています。昔、単純にステロイドは良くないと患者さんに止めさせて、悪化したことがあってね。ステロイドもうまく使えば短期で治ることを今ではわかっていますが、そのときは、西洋医学を信じようとしてなかった。もちろん、検査でわからない痛みが頭蓋骨調整で取れたり、といった、東洋医学でしか出来ないことも多くあります」
     機能的な診断や判断、薬や各種検査の結果もうまく取り入れて、もっと患者さんベースの、患者さんの自然治癒力を引き出す治療を行っていきたい、と松久先生は語る。
    「取れない痛みを取るには、精神的ケアも必要です。短期間で治ることを目指せば、一人にしっかりじっくり時間を取る、丁寧な治療が重要となってきます。治療から健康維持へシフトしていくことが目標。高齢者医療もやっていきたいですね。“治る高齢者治療”です」
     松久先生が手がける色彩診断治療は、がんや難病をはじめ幅広くの所見に対応している。心臓の不整脈や子供の中耳炎が治療2回で治ることもある。治りにくい代名詞のアレルギー疾患にも効果的だ。細胞に働きかける根本的な治療や、薬の副作用や痛みの除去、緩和をサポートしている。
    「カラー治療の勉強会は定期的に行っていますが、今後は、鍼、マッサージ、カイロ、色彩などを合わせた、私の経験と知識を網羅した『松久式治療法』を、学びたい人材を育成していきたいとも考えています。そこでは西洋医学の知識も勉強してほしいですね」
     免許を取って開業した施術家は、個人事業主という一面も持っている。診療院の継続、スタッフのケア、患者さんとの関係を含めたさまざまなことを、診療技術とは別の能力でこなさなければならない。
    そのような治療知識も含め、開業や運営、患者さんとの関係づくりに関しても学べる勉強会を、近く開催する予定で準備を進めている。
    「若い施術家のサポートをして、技術以外でも頼れる存在でありたいと思っています。そこには倉田先生の教えは欠かせません。もちろん、医療臨床の最前線には立ち続けますよ。患者さんとの関わりがなにより喜びやからね」
     と、トレードマークのにこにこ笑顔が輝いた。温かい信念と確かな技術、人とのつながりで未来に医療をつなぎ続ける松久先生。いつまでも多くの人に慕われ囲まれている姿が浮かび上がってきた。
                             (インタビュー・文責:山田祐子)
     
     
    松久隆司
    【略歴】 
    1962年10月16日 大阪市十三生まれ。5人兄弟の4番目 奈良県在住。AB型
    1981年 行岡鍼灸専門学校入学
    1983年 富金原学園 カイロプラクティック修了
         パーマ系のカイロプラクテック・アプライドキネシオロジー・頭蓋骨調整法
         あん摩マッサージ指圧師免許取得
    1984年 鍼師免許、灸師免許取得 富金原学園卒業
    1985年6月6日 松久治療院 開業(十三) 
    1987年 大阪市中央区安土町に移転
    1997年 入江式FTを学ぶ
    1999年 色彩治療を始める
    2003年 現在の本町細井ビルに移転
     
    【所属】
    国際色彩診断治療研究会
    (公益社団法人) 大阪府鍼灸マッサージ師会 
     
    【趣味】
    アウトドア遊び(ハイキング、釣り、キャンプほか)
    森林浴、神社仏閣巡り
    おいしいものを食べること
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施設情報

院名

色彩治療・松久治療院

電話番号 電話時は「健康にはりを見た」とお伝え下さい。
住所

〒5410053

大阪府 大阪市中央区 本町4-4-27 細井ビル5F

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最寄り駅

地下鉄御堂筋線・四ツ橋線・中央線 本町駅徒歩3分

営業時間

日: 休診日

月: 10:00~12:00 | 15:00~19:00

火: 10:00~12:00 | 15:00~19:00

水: 10:00~13:00

木: 10:00~12:00 | 15:00~19:00

金: 10:00~12:00 | 15:00~19:00

土: 10:00~14:00

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  • 現金
所属団体
大阪府鍼灸マッサージ師会・国際色彩診断治療研究会
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